いしわた 宏明 のブログ

「夢」、「継承」、「未来」。大好きな街「桐生」を次世代に。「いしわた 宏明」の市政チャレンジを綴ります。

ごあいさつ

ごあいさつ message
いしわた宏明

こんにちは。わたしは 石渡 宏明 (いしわた ひろあき) と申します。

桐生の街をもっともっと輝かせたい! 桐生の魅力を全国に広め、世界に誇れる「国際都市」にしていきたい! そんな「想い」を実現すべく、市政への挑戦に思い切って踏み出しました。
アームストロング船長の言葉ならぬ、「わたし (いしわた) にとっての小さな一歩。ただし桐生にとっての偉大な一歩。」に向けて。精いっぱいにアンテナ高く、誠心誠意、取り組んでいきたいと思っています。どうぞ、皆さまのお声をお聞かせ願います!

桐生との出逢い

わたしの出身は東京都 杉並区です。「石渡」という姓は「いしわたり」と読まれるケースが多いのですが、わたしは「いしわた」です。古く源氏の流れをくむ、鎌倉武士の出自とか。生前父が常々言っておりました。… 幼心にも誇りに思っていたことを思い出します。

さて…。年月の経つのは早いもの。わたしは妻との結婚を機に、2000年に桐生市引っ越して参りました。桐生第一高校が第81回全国高等学校野球選手権大会で見事、全国制覇を飾った翌年のことです。あの夏の甲子園で味わった熱気と興奮、一体感。いまでもはっきりと覚えています。

思えばあれが「桐生との出逢い」。そしてわたくしの行動の「原点」のように思います。
https://vk.sportsbull.jp/koshien/stats/summer/y1999.html

応援席スタンドに到着をするなり「わたちゃん、よろしくね~」。… みなから声をかけて頂きました。しかもそれはどれも最高の笑顔!どうやら義母が娘の婚約者として事前に近隣方々へ触れ込んでいたからのようですが、良くも悪くも「都会っ子」育ちのわたしにとって、それは衝撃的な出来事でした。見ず知らずの方々はおろかそれが例え近所の方々であっても、繋がりの希薄な世界で過ごしてきましたから。

ですが、よそ者のわたしをこんなにも温かく、まるで家族のように迎え入れて頂いたこと。それがどんなに嬉しかったことか。照り付ける強い日差しの下、暑気払いとばかりにワイワイ手渡された甲子園名物「カチワリ氷」と同じように、身構えていたわたしの心はジンワリと氷解していきました。「人情味」と「愛嬌」のあふれるこの街の方々と共に。出逢えたことを「奇跡」と思った夏の一日でした。

偉大だった「じいちゃん」

わたしの祖父は「小山利雄」(こやま としお) と申します。
2003年に永眠をいたしました。正確には妻の祖父ですので、わたしにとっては義理の祖父にあたりますが、わたしが妻と共に桐生に引っ越して参った時はまだまだ壮健。一つ屋根の下で祖父母、母、わたし共夫婦、そして授かったばかりの長女あわせ、計6名での「4世代生活」をスタートいたしました。

特に賑やかだったのは皆が一堂に揃う夕食時。あらかじめそれぞれ用に取り分け盛り付けられたお料理ではなく、大皿にどか盛りをしたお料理を好き好きに皆で箸つつくスタイルは、一日の疲れを癒してくれる心のほっこりするひと時でしたが、「じいちゃん」が目を細めてグイっと飲む焼酎のお湯割り (酩酊しないようアルコールはだいぶ薄目でした)、その後に続く「プハ~ッ」という深い深い安堵の吐息は、我々の笑顔をも誘う恒例のひとコマでありました。

そんな好々爺だった「じいちゃん」。わたしと娘にとって「じいちゃん」は「じいちゃん」でしたが、何を隠そう「じいちゃん」は桐生市の市長を務めていた偉大な人物でした。
数少ない桐生市名誉市民」にも選ばれています。
http://www.city.kiryu.lg.jp/shisei/profile/1002952.html

小山利雄

桐生市議会の議長を経て、市長に就任をしたのは1971年。この年はわたしと妻がそれぞれこの世に生を受けた年にあたります。以来、連続4期16年間市政に携わり、まさに桐生市の黄金期を築き上げた人物です。とりわけ上下水道の建設をはじめとする都市基盤の整備に尽力、市政の発展に多大な貢献をいたしました。

イタリアのビエラ市に続くアメリカのコロンバス市との国際姉妹都市提携を果たしたのも、先見のあった「じいちゃん」の功績です。

「じいちゃん」と過ごした3年間。時に「うちのせがれです」と人に紹介をされ、心中で「孫だが?」と戸惑ったこともありましたが、まるで我が子のごとく目をかけてくれた慈愛のまなざし。引退後の悠々自適のステージにあっても、市政について語る姿は往年の雄姿を彷彿とさせる迫力がありました。いまもそしてこれからも、わたしが目標とする人物です。

「じいちゃん」が築き上げてくれた桐生市を、こんどはわたしがバトンタッチ
精一杯に担っていきたいと思っています。

(株)ミツバでの勤務

約18年間 (2000年7月 ~ 2018年9月) に亘り、わたしは桐生市 広沢町に本社を置く、株式会社ミツバ にお世話になりました。

在職中は一貫して営業職に従事。自動車用製品 (四輪電装) やライフ・サポート製品のグローバル拡販活動に取り組んでまいりました。世界中の顧客への海外出張機会ばかりでなく、約3年間 (2009~2012年) のイギリス (ロンドン他) 勤務、約5年間 (2012~2017年) のドイツ (ミュンヘン) 勤務等の貴重な海外駐在機会も頂戴し、様々な異文化交流を経験。公私を問わぬ数多くの素敵な友人に出逢えたばかりでなく、多様性を受け入れることのできる豊かな国際感覚と、外から見つめ直した日本を想うことのできる、大きな視野を広げることができました。

わたしが過ごした株式会社ミツバでの時間は、高い技術と品質に裏付けされた世界に届く「企業力」と、それを全力で推進する力強い「リーダーシップ」の上司と良き同僚、部下達、そして顧客から寄せられる厚い「信頼」と「期待」に支えられ、言葉で言い表すことはできないとても素晴らしい時間とすることができました。感謝の念は尽きることありません。

いしわた宏明

これからの日本にはより一層、海外との「協調」と「共存」が必要になってくることは言うまでもありません。そんな中にあって国や言葉、文化は違えど、大事なことはひとつだけ。ワンウェイではない「伝える」・「受け入れる」双方向のコミュニケーション・スキルです。

世界に向けて。わたしは株式会社ミツバで学んだことを、そして遠い異国の地で覚えた故郷への想いを、大切な仲間達の暮らす桐生の街、皆の生活舞台にこれから反映していきたいと思っています。
「決断をしたからには、前だけを向いて頑張りなさい。」
… 気持ちよく送り出して下さった職場の方々へのご恩返しを誓います。